カメラ

1年半程前から写真を撮る様になりました。 それまでは、一眼レフカメラに何となくの憧れを持ちつつも、面白いのどうかちょっと疑問でもありました。 そんな中で、初めてのボーナスが出た時に、富士フイルムのデジタルカメラを買うことにしました。 その頃は…

カメラと写真

最近は肌寒く、冬を実感するばかりです。季節の変化に気付く時は急に訪れます。朝起きて、寒さに驚き、『うわっ、冬やん』とひとり思う時です。そして、風邪引くわと思って、コートを引っ張り出す、あの時です。 寒いのは辛いですが、季節が変わると空の澄み…

私的写真論

昨日、何食べたっけ?と思い出せない。 それくらいに記憶力には自信がない。 お酒を飲んで、話したことなどたいてい何も残らないし、友達と楽しく話していたはずなのに、何が可笑しかったのかを後で捉え直すことも出来ない。 ただ、写真に残した光景だけはし…

問い

感動するとはどういうことなのか? なぜ良質なコンテンツは感動させる可能性を持っているのか? ハブになる為にはどうすればいいか? これまでの経験で活かせることはあるか? これからどうすれば近づけるか?

なんとなくの決意

心が動かされるような作品に出会うと、誇張ではなく生きていて良かったと思える。 まだ、こんなに感動することが出来る存在が世の中にあるのであれば、生きていてもいいのではないかと思うのだ。 そうした出逢いのハブになり、かつクリエイターとして生み出…

写真

写真は過激なものである。 局所的に見ると、それは凄く狭い極端な世界になるのではないだろうか。 戦争をしている爆撃の場や恋人がホームで抱き合っている場面を考えれば、分かりやすいだろう。 それを切り取る写真も同様である。

アーティストとは

アーティストとは何かの違和感を感じ、訴えるために作品を作っていると言えるのではないか。 社会を変えるひとつの方法である。 それをドランはカンヌのスピーチで言ったのだ。不可能に挑み続ける。 ドランは普通でないとされる人々を描き、誰が普通を決めた…

暮らしと写真

奥山由之の写真展"as the call, so the echo"に行ってきた。 前回の千駄木での写真展から"暮らし"に関心を持っている様である。 日々の生活の記録としての写真を作品としていることは、広告の為の作品とは大きく違うはずである。 暮らしを写すという事は、何…

飲食店との運命性

美味しいお店を見つけたい… そりぁ、同じお金を払うならば、より美味しい食事がいいのですよ。 ただし、探すのがなんと難しい。 まず、美味しさは主観的である。好みが分かれる。 その為、本当に美味しいと言われてるお店が美味しいのかに信憑性が薄い。 そ…

僕らは何だかすぐに忘れちゃう。

みんなが綺麗な写真を撮れるようになった。 それぞれが撮った写真は、少しの孤独が積もった後に、共有される。 生活にへばりつく孤独が再び顔を出してくることに気付かないでやり過ごすために。 そうした孤独からの逃避行を見て、あぁ楽しかったな。と思うこ…

伊豆

久しぶりに、楽しかったなぁと、名残惜しさが尾をひく休日を過ごした。 集合時間には当然集まらないが、それが当たり前なのも相変わらずであった。そんな始まりに、心地よさがある関係は、これから出逢う人とは築き難いと思う。 危うい運転の連続に、結局ヒ…

写真

儚い存在としてある私が残したいのは、普遍的で、つまりは他の誰かも共有してるような『情動を捉えたもの』だと悟った。 それは、明示的でなく、言葉で表すには抜け落ちるものである気がする。 野村恵子さんの写真を見たときに、涙が溢れそうになった瞬間を…

東京写真美術館 Tokyo

それぞれが捉えてきた東京が、群として飾られている。それらは、ただのイメージのない言葉としての東京を、異なる存在として認識を改める契機となる。 時間軸の持った存在、自分の生活の外で生きる人々を含む存在、ミニチュアのようなおもちゃのような存在、…